2016年12月27日

16年の年末から17年の年始にかけてのタイミング

 カジノを含むIR(特定複合観光施設区域)推進法が15日午前1時に成立してからの2週間弱というわずかな期間に、政府は「ギャンブル依存症」対策の骨子を急ピッチでまとめています。この年末から来年初めにかけてが、パチンコ産業の未来を決める重要な時期であると考えます。このブログではその理由を述べます。

 まず前提として確認しておきたいことが2点あります。現在議論されている「ギャンブル依存症」の範囲には、カジノの「依存症」対策だけでなく、競馬、競輪、競艇などの公営競技と、パチンコ・パチスロなどの遊技への「依存症」対策が含まれているということです。このことは、「ギャンブル依存症」対策への取り組みについて言及したIR推進法の附帯決議のなかで、「カジノにとどまらず、他のギャンブル・遊技等に起因する依存症を含め、ギャンブル等依存症対策に関する国の取組を抜本的に強化する」と書かれています。この表現は文脈的に、これまで風営法により規制されてきた遊技産業の監督官庁は警察庁でしたが、今後はパチンコ産業への「依存症」についても所管するであろう厚生労働省など他の省庁が監督指導する可能性が高いことを意味しています。そのため、パチンコ産業にとってカジノに関する政策議論は、他人事ではなく直接関係することになる重要な事案です。その原型となる骨子が2017年の仕事初めまでに固まろうとしています(すでにある程度、固まっています)。

 次に確認しておきたい前提が、「ギャンブル依存症」対策の策定がIR実施法案の議論よりも優先されているということです。というのも、IR推進法の審議の過程で連立与党である公明党からの一致した賛同を得られなかったこともあり、まずは公明党が求める「ギャンブル依存症」対策を強力に推進する必要に迫られているのです。26日には「ギャンブル依存症」対策をテーマとした関係閣僚会議を開きました。また政府は年明け早々にも省庁横断組織の「ギャンブル依存症等対策室(仮称)」を設置するという情報も出ています。

 この政府が描くシナリオのまま事態が進行すれば、厚生労働省などにより定められた一元的な「ギャンブル依存症」対策の制度的な網が、遠からずパチンコ産業にもかけられることになるでしょう。その時期は、カジノの運営開始よりも先行すると予想されます。これまで風営法にある意味「守られて」、産業としての独立性を得てきたパチンコ産業が、はじめてカジノや公営競技と同じ俎上に載せられることになります。そしてこの流れは、「ギャンブル依存症」だけでなく、ゆくゆくは営業権の許認可制度(完全に合法化され、参入障壁だった風営法による縛りの消失)や税制(「カジノ税」と同じ「ギャンブル税」の一形態としての「パチンコ税」創出、つまりは税負担の強化)、そして機械や機器への規制(カジノのスロットマシンと同じ一元的な新基準の、かつて遊技機と呼ばれていた機器への適用)にまで及ぶ可能性が高い。

 パチンコ産業の「ギャンブル依存症」対策に絞れば、いまカジノの法制化にともなって新たな制度的な網がかけられようとしているのは、これまでに十分な対策を行ってきたとは政府や社会から見なされていないことが原因です。象徴的な数字が「536万人」という日本の「ギャンブル依存症」患者数です。この数字は2年以上も前の2014年8月にパチスロが主犯であると指摘されて全国紙で報じられました。ですがパチンコ産業は、それを否定する作業を怠りました。そのツケがまわってきました。カジノ推進法についての議論では、日本社会の民意を代弁したマスコミと各政党が、国会や政府に手厚い「ギャンブル依存症」対策を求めました。これまでの対策は不十分であったという社会の憤りや不安が表面化し噴出したのです。

 業界独自の対策が評価されて、これからの政策に活かされるという余地がこの段階になってもまだ残っているのか、わかりません。ですが、いま現在というタイミングは、まさに政策決定の下絵が描かれている段階です。ここでパチンコ産業が、自浄作用や産業としての自主性・自律性を社会や政府に示すことができるかどうかは、今後の産業の未来に決定的な影響を与えると考えています。

知的情報サービスセンター 平田
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2016年12月19日

IR推進法案審議がもたらした「モヤモヤ感」と、それへの来るべき解消圧力

 カジノを含む統合型リゾート(IR)の実現に筋道をつける通称「IR推進法案」、あるいは「カジノ法案」が12月15日午前1時に国会で成立しました。11月30日に唐突に審議入りしたので、審議に要した時間はわずかに半月間。カジノ研究者の木曽崇氏がツイッターで逐次コメントを交えて進行を伝えてくれたため、よく整理された形で審議を見守ることができました。

 私はこのIR法案審議の過程で、すっきりとしないモヤモヤとした違和感、あるいは不快感を覚えていました。来年の2017年には、この「モヤモヤ感」を解消しようとする圧力が、政治的・社会的に大きくなると予想します。私が感じた「モヤモヤ感」の正体に目を凝らすと、3つのレベルに腑分けできることに気づきました。1つめは国会審議の過程、2つめは「ギャンブル依存症」の前景化、3つめはパチンコ業界の反応です。

 1つめの国会審議についての感想は、私はもちろん政治分野の専門家ではありませんので、一国民としての素朴な感想です。特に民進党と公明党に対する「モヤモヤ感」となります。国会審議では、衆議院での強硬可決後、民進党には議長ポストを握る参議院内閣委員会での徹底審議と徹底抗戦が期待されていたのですが、あっけなく採決に協力してしまい、審議の打ち切りと可決を許してしまいました。また、これまでの10年以上にわたる日本へのカジノ導入を巡る議論において、推進派にとっての最大の足枷となっていた連立与党の公明党が、今回は党としての意見をまとめることができませんでした。IR推進法案の成立過程には、マスコミの常套句である「議論が尽くされぬまま」「うやむやのうちに」という表現がまさにぴったりと当てはまってしまいます。

 次の「モヤモヤ感」は、カジノ法案審議を巡る国会審議やマスコミ報道で「ギャンブル依存症」、なかでも特に「パチンコ依存症」に焦点が当てられ前景化したことに対して、となります。日本の「ギャンブル依存症」についての報道では、「厚生労働省の研究班」が発表したという「成人人口の4.8%にあたる536万人」という「罹患者(?)」に関する数字が盛んに引用されました。この「536万人」は、最大規模のファン人口を擁し売上を出している既存「ギャンブル」のパチンコ産業が主に生み出したものであると説明され、東日本大震災以来の大きな拡がりでバッシングが繰り返されました。

 最後の「モヤモヤ感」のレベルは、カジノが日本に導入されることが決まり、また「ギャンブル依存症」の主犯とされてパチンコへのバッシングが拡がったにもかかわらず、パチンコ業界がカジノ議論は他人事であるかのように泰然として構えているように見えたことです。

 以上、3つのレベルの「モヤモヤ感」のうち、RSNという「ぱちんこ依存問題相談機関」に身を置く現在の私に直接かかわってくるのは、2つめの「ギャンブル依存症」についての議論です。「ギャンブル依存症」あるいは「ぱちんこ依存問題」については、ここでの前のブログエントリーで書いたように、実態がまだよくわかっていない、いわばグレーな存在です。論者の立ち位置によって、白に近づけて無害だと主張することも、黒と見なして断罪することも許容するようなグレーな箇所を争点化することで、反対論者からの攻撃をかわす足場を確保しながら相手を攻撃することが可能となります。グレーなものを「黒」と言っても、相手は明快に反論できませんし、グレーなままに放置していたことも相手側の瑕疵となります。「536万人」という象徴的な数字を持つ「ギャンブル依存症」や「パチンコ依存症」への恐怖が、カジノという未知なるものへの漠然とした国民の恐怖とすり替えられました。

 ただし、グレーな存在は前景化した瞬間から、グレーなままでいることを許されなくなります。パチンコ産業には、釘問題と換金問題という2つのグレーだった問題があり、業界メディアにとってはいわばタブーとされ言語化が避けられてきました。メーカー側の関与が疑われた釘問題については、一連の「遊技くぎ」問題の「落としどころ」として約72万台が撤去されることにより、「黒」だったが決着済みの案件として業界的には処理されました。また換金問題については「承知している」、すなわちはっきりと「白」と見なすという政府の答弁書が、IR推進法案審議入りの直前という「偶然」と言うには出来過ぎのタイミングで国会に出されています。そのため、三店方式についてグレーな点の残るホールには、早急に「白」として実態を整備することが要請されています。IR実施法案の整備される2017年には、「ギャンブル依存症」「パチンコ依存症」に白黒の判定をつけようとする動きがすすむでしょう。すでにいくつかの機関・団体が、実態調査に着手する、あるいはすでに準備をすすめているとアナウンスしています。

 これまで、風営法下にあるパチンコ産業の所管官庁は警察庁のみでした。ですが「ギャンブル依存症」の問題は今後、パチンコなどの「遊技」と公営競技を含んだ「ギャンブル等依存」への対策として、厚生労働省が一括して所管することになりそうです。またこの「ギャンブル等依存」に関わる制度設計がIR実施法案策定の過程と一体化して行われれば、観光庁を傘下に持つ国土交通省や、民間企業を監督する経済産業省との調整も必要になると予想されます。内閣府の直轄案件であれば、国家公安委員会・警察庁とともに消費者庁が表に立つかもしれません。またさらに、財務省国税庁管轄の税体系についての議論では、カジノからの税収の延長線上に「パチンコ税」が創設される可能性もあります。パチンコ産業は、警察庁の意向をうかがうだけでは済まなくなり、日本社会全体を意識することが要請されるようになります。パチンコ産業にとってIR推進法の成立は、そのような歴史的な意味を持っていたと言えます。

知的情報サービスセンター 平田
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2016年12月07日

これまでのギャンブル依存問題が持っていた「ややこしさ」

 カジノを含む統合型リゾート(IR)を整備するための推進法案が今月6日、衆議院本会議で可決され、参議院に送られました。カジノ解禁に対する最大の懸念材料として反対派から提出されているのが、ギャンブル依存の問題です。インターネット上では、カジノそのものについての議論以上にギャンブル依存の問題について、それぞれの立場から多くの意見が提出され、モニターしているだけでたいへん勉強になりました。

 合法的な賭博としてカジノが登場すれば、それとセットでギャンブル依存の対策が登場することになります。これからギャンブル依存の問題について、本格的な議論が始まろうとしています。

 ところで、これまでギャンブル依存の問題には、いくつかの「ややこしさ」があって、活発な議論が行われにくい状況にあったと思っています。それはなぜか。私なりに整理してみます。

 まず前提として、これまで日本のギャンブルへの依存問題は、パチンコ・パチスロへの依存問題に集中していたという事実があります。パチンコ・パチスロが「ギャンブル」なのかどうかについての議論をいったん棚上げするとして、参加人口の規模でも投資金額の規模でも、パチンコ産業が圧倒的なシェアを占めてきたためです。また、競馬、競輪、競艇、オートレースと分かれ、監督官庁も設置主体もバラバラな公営競技とは違ってパチンコ・パチスロ産業は、警察庁を監督官庁として風営法により規定され、さらに業界団体が活発に活動しているという、産業としての一体性があります。そのため、日本においてこれまでギャンブル依存の問題に向かい合ってきたのは、パチンコ産業であると言えるでしょう。ここからは、これまでの日本のギャンブル依存の問題を引き受けざるを得なかったパチンコ・パチスロへの依存問題に特定して整理してみます。

 パチンコ・パチスロへの依存問題についての「ややこしさ」のひとつには、「立場表明」が求められがちだという状況があります。もうひとつの「ややこしさ」は、この問題について発言し、あるいは関わる人たちの専門分野や活動分野がさまざまであり、対話を成立させる共通言語が生まれにくかったということがあります。

 まず、「立場表明」について。発言者あるいは関与者に求められる主な「立場表明」には、@「パチンコは、刑法が禁じる『賭博』である/ない」という法解釈的な立場、A「パチンコへの依存は、『依存症』という病気(疾病)である/ない」という医療診療の見地によって分かれる立場、B「パチンコは社会にとって必要な娯楽である/ない」を問い、パチンコそのものの存在を許容するのか、あるいは社会から排除すべきと考えるのかという社会思想的な立場の3つがあります。これらの立場を鮮明にした方が議論はスムーズに始められますが、反対派からの攻撃にさらされる可能性が生まれます。

 次に発言者や関与者の専門分野や活動分野について。主な専門分野や活動分野には、@いわゆる「ギャンブル依存」(ギャンブリング障害)を診療する精神医療の専門家、すなわち精神科医、A精神保健福祉士や社会福祉士といった国家資格を得るための方法論に準拠する行政や民間の援助職者、Bギャンブル依存の問題に先進的に取り組んできたGAやギャマノンに代表される相互援助グループや家族会など市民団体、C独自の対策を行ってきたパチンコ業界の4つがあります。専門分野や活動分野が違えば、世界観や言語体系、前提となる知識が異なるために、生産的な対話は生まれにくい状況となりがちです。

 推進法が成立すれば、来年の1年をかけて、具体的な実施法が議論されることになります。そこでは当然、特に重要なテーマとして、ギャンブル依存への対策が焦点となります。議論の場では、カジノだけでなく、既存のパチンコ・パチスロや公営競技への依存対策も採りあげられることになるでしょう。この機会に、これまでのギャンブル依存の問題が抱えていた「ややこしさ」が解消されて、問題を抱える人たちに寄り添った議論が積み重ねられることを期待したいと思います。

知的情報サービスセンター 平田
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2016年12月01日

中間の言葉

 今回は(今回も?)個人的なことを書きます。すみません。

 沖縄についてのテキストで特に印象に残っているのは、大阪出身でウチナーンチュ二世の仲村清司が書いた、「沖縄は、表層だけを語ると叱られるし、深入りすると火傷する」という表現です。近著の『消えゆく沖縄』でも、このフレーズは繰り返されていました。

 この仲村と、沖縄をアジアの文脈に位置づけた旅行作家の下川裕治、そして沖縄の出版社であるボーダーインクの新城和博の3人が、沖縄をポップで軽い文体のテキストを使って表現し始めました。1990年代後半のことです。特にボーダーインクの雑誌「ワンダー」は、沖縄に来るたびに夢中になって読みました(2005年に休刊)。

 この頃に私のなかでもうひとつの「沖縄」像を形づくったのが、新崎盛暉らの雑誌「けーし風」でした。この雑誌や新崎らの本から、基地問題をはじめとする政治的、あるいは社会的な問題について学びました。仲村らのテキスト群と新崎らのテキスト群は、沖縄についての表現の「軽み」と「重み」の両極にありました。私のなかで沖縄はいつも重いテーマでありつづけています。住んでみたいけれど、うかつに触れると大火傷しそうな場所です。そんな沖縄を軽く表現して見せる仲村たちを眩しく眺めていました。

 話題をテキストから音楽に移します。音楽の世界では、内地での「沖縄ブーム」はテキストよりも5年ほど先行していました。1990年代の初め頃、照屋林賢のりんけんバンドや知名定男プロデュースのネーネーズらが、セゾン系列「WAVE」などのCDショップで当時のワールドミュージックブームの流れで紹介され、私も聴き始めました。沖縄民謡の影響を色濃く残した音楽です。

 その対極に、初期のBIGIN、安室奈美恵と彼女につづく沖縄アクターズスクール出身者の芸能界への輩出、そしてすこし後になりますが、ORENGE RANGEなどインディーズから火が付いたバンドの登場があります。沖縄らしさを意識しない(意識させない)沖縄発の音楽です。沖縄にまつわる音楽の流れにおいて、民謡と現代ポップスの中間を埋める役割を果たしたのが、宮沢和史・THE BOOMの「島唄」でした。宮沢は、この「島唄」のヒットによって沖縄の音楽界からさまざまなバッシングを受けたと、繰り返し語っています。この曲は私に、沖縄、あるいは「他者」を表象することのむずかしさ、そして可能性に、あらためて気づかせました。

 話題をテキストに戻します。何かの業界やジャンルについての発話がなされる場合、ムラ社会の住人だけに向けたジャーゴンまみれの言説か、あるいは外部向けの意味や質量をほとんど持たない表現ばかりが生み出されているような気がしています。

 ジャーゴンという言葉には、専門用語という意味のほかに、脳機能障害による失語症という意味もあるそうです。沖縄にようやく移り住むことになったのは、失語症に陥ってしまわずに、「軽み」と「重み」を強く意識せざるを得ない場所に身を置いてみて、その中間にある言葉をさがしてみたくなったから、なのかもしれないなあと思っています。

知的情報サービスセンター 平田
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